資格は何も持っていません。

肩書きを重視する方は連絡しないでください。

35年間の経営経験に裏付けられた実戦支援をいたします。

赤石陵勇プロフィール

1949年  誕生 団塊の世代

1968年  群馬県立桐生南高等学校卒業

1972年  玉川大学工学部機械工学科卒業


以下下記の通り。

【略歴】

大学卒業後、大手電機株式会社に入社するが、実家の経営状況悪化の為、父の経営する会社に入社。

その頃、某得意先がTQCでデミング賞に挑戦中であり、当時の社長が、「下請けの経営不振は当社が原因しているかもしれない。」と言い、同席していた小生 を後継者に育てるよう命じ、三名の方が経営指導のため出向常勤となり、会社の再建を行うと同時に、経営管理の基礎を指導戴いた。

その後、順調に事業は推移したが、脱下請けを図り、金属プレス板金業から、小型送風機メーカーを目指す。

韓国企業と技術共用を締結し、スペインに営業所を開設、複写機業界においては、冷却用クロスファンで世界の45%のシェアを確保し、企業グループ年商35億円を達成する。

ところが、IT革命により、複写機に冷却用クロスファンを用いなくなり、1年で10億円売上が減少し、一気に債務超過に陥る。

更に、バブル崩壊となり、土地価格が暴落し、担保能力が一気に低下し、規模縮小を余儀なくされた。

10年かけて年商7億まで縮小し、持ちこたえるが、53歳に過労から結核を患い、自宅療養を含め約1年経営から遠ざかり、心身共に疲弊し、会社を閉鎖、残ったグループ会社を統合した後、全ての会社から経営を退く。

その後、関連会社が行き詰まり連帯保証をしていたので、全ての財産を処分、無一文となって高崎市に移住する。

高崎にて再スタートするが気力が萎え一年間女房に食わせて貰う。

5年間製造業、ルート営業とアルバイトをしながら60歳を迎え、大殺界も明けて気力も回復し実業界復帰を志向する。

緑生を機会に、中小企業経営者の支えになることをライフワークにすると決意したところ、運良く須田知身氏を中心とした一般財団法人事業再生財団と巡り合い、事務局を預かる。

日本の社会では一度失敗した経営者はなかなか再起する事が出来ません。私は運良く高崎の地で私に手を差し伸べてくれる同志に出会うことが出来ました。

私は自分の経験を生かし、中小企業の事業再生・経営者の再生を残りの人生のライフワークといたしました。

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